ディズニーシーで感じたこといろいろ

なんでだろう、初めて来た場所なのに前にも来たことがあるような気がしたのだ。デジャヴとは違う何か。それはデジャヴ以外の何ものでもないと嫁さんは言うけれど。僕は、『トゥルーマン・ショー』という映画を思い出した。生まれてからずっと主人公は番組の主人公としてテレビで生中継され続けて、町中のみんなが役者だったのだ。僕は、見るもの出会うものすべてに出迎えられていたような気がしたのだ。
すごいと思うのは、まったくそこにビジネスの片鱗を見せないことだ。「夢を見せる」ことへの妥協なき執念のようなもの。キャストの誰もが、「仕事中」という顔をしていない。その世界の住人を演じきっている。いや演じているということすら感じない。レジで買い物をしたときでさえ、売った買ったというやりとりを感じない。やりとりをしたのは、カネではなく、あくまで「夢」だったのだ。「夢を売る」「夢を売る」とひたすら連呼する姿を、ケの世界から何をバカなと冷淡に見つめていたが、ひとたびそのハレの世界に踏み込んで歓迎されると、なるほどこれは本物だと納得するしかなかった。
僕は恐怖すら感じた。この世には、ビジネスを超越したものがこうも人々を魅了して、それがビジネスとして完全に成立してしまうものがあるのだ。それが誰かの手によって完璧に作られた世界なんだとしても、僕はいつまでも夢を見ていたい。その世界の裏など永遠に知らなくて構わないと思った。