ケータイの保護フィルム

つまらない人生を送ってきた。
なんか帰り道でそんなことを考えてた。今まで僕の人生は、見てくればかりを気にして生きてきた。大学に入ったのも、大卒というハクが欲しかっただけだ。この大学でしたいことがあるとかなんて何も考えなかった。まったく、実りのない大学生活を送ってしまった。
こんな人間になってはいけない。
東大に入ることが目的で、東大に合格して人生燃え尽きてしまう人もいるらしい。そうなってはいけない。大学は自分がしたいことを目指すための手段だ。目的になってはいけない。よく言われてたことを自分が言うはめになるとは。なんという屈辱。だが、これから、自分の人生を形成することができるすべての人に言いたい。自分のしたいことのために生きろと。それに至るまでの道のりはすべて手段なんだ。東大じゃなくたって、自分のしたいことができる大学なり専門学校なり行くのが一番いいに決まっている。試験に合格したとか、いい点を取ったとか、それがゴールじゃない。
なんかもんもんとして帰ってきたが、家に着くと、前に注文したケータイの保護フィルムが届いていた。そろそろとフィルムを貼ったが、うまくいかない。どうもフィルムを貼った後、最後のとどめにフィルムの保護フィルム*1を剥がさないといけないらしいのだが、そんなものが剥がれる気配がないのだ。そうなっては、光の映り込みを防ぐというフィルムの効力を生かせず、500円もしたのに無駄になったなぁと3年もこのもやもやを抱えながらこのケータイと付き合わねばならないのかと深く失望したが、嫁さんが、しばらくじーと観察したのち、これ貼る場所違くない?と単純明快な指摘をしてくれた。そしたら、その通りだった。嫁さんは、そのフィルムが入っていたケースを観察すると、ケータイの型式のところにテープで修正した跡を発見し、剥がしてみると別の型式が現れた。嫁さんの推理では、これは別の型式に使うものを流用したので、いらない余計なフィルムも入っていたのだろうということだった。
僕は、この人がいないと生きていけないんだと思った。僕は、この嫁さんと生き、そして嫁さんを幸せにするのがゴールなような気がしたのだ。