息子の名前

いやこれ誰も気付いてなさそうだからこの際ぶっちゃけちゃうけどさ。

この日記、ただの食事報告ブログになってない・・・?

何をいまさらだと!?いやそりゃさ、ママが愛情こめて作ってくれた料理はそれだけで記事にする価値があるからそれでいいんさ!だけどやっぱりそれだけだとなんだろう、食事だけじゃ日々の記録としては物足りないっていうかさ。人間やるからには食べるだけじゃやってけないわけで、恐れ多くも文明社会の中心にいる身としてはいろいろ起きるわけよ。

やっぱりときどき駄文という名の近況報告しないとなんか寂しいわけね。最近じゃ唯一の読者であろうママも離れつつあった感があったからさ。

えっ息子?いや聞かれなくたって話すよ。そらもう元気さ。ありがたいことにいやってほど元気。今ちょうど1歳4か月だけど、すっかり、2本足で歩いて、歩くどころか走り回ってるね。よくしゃべるし、簡単なお手伝いもできるようになって、日に日に頼もしく成長しているのが感じられるよ。

ところで息子の名前は、2011年1月31日の日記にも書いたように 、同じイニシャルが3代続いているという我が家の伝統(かどうか知らないが勝手にそう解釈した)に従ってつけた。息子が果たしてそれに気付くのかが楽しみだ。僕は気付くまで25年近くかかった。

今、『真田丸』という時代劇にハマってて、真田信幸が徳川家康に父の昌幸からもらった幸の字を捨てよと命じられたとき信幸がすごく悔しそうにしてて、僕にまだ子供がいなかったらふーーん昔の人って自分の名前に思い入れが強いんだねーとかマヌケなことを考えていただろうが、俺こそめちゃくちゃこだわっていた!!そう、だからすごい胸に迫るものがあったね。

息子よ、あえて父は我が家の伝統は何も言わん(だからそんなのはないってば)。君が気付く気付かないは関係ない。いずれ生まれる君の子供にはあえて伝統から外れた名前を与えて、風雲児を育てるのもよかろう。だがたのむっからキラキラネームだけはよしてくれよな。