文体模写

ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドの中で自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた。固い甲殻の背中を下にして、仰向けになっていて、ちょっとばかり頭をもたげると、まるくふくらんだ、褐色の、弓形の固い節で分け目をいれられた腹部が見えた。

カフカの『変身』をいろんな作家が書いたらどうなるかという文体模写を集めているのが面白くて(元は2chらしい)まるまるコピペだけど残させていただく。

夏目漱石

 

吾輩は毒虫である。名はザムザという。なんでこうなったのか頓と見当がつかぬ。何かしら不安な夢を見ていた気がするが、夢とは動物の体をかくも変化せしめる程のエネルギーを持っていたかしらん。腹にうじゃうじゃついている足が気色悪いのだがそれを舐める舌もない。あれほど好きな毛繕いももう出来ぬのだろうか。今の現実こそこれ悪夢である。主人が吾輩を見れば何と言うだろうか、「ごろごろ虫みたいに寝転がってるから、本当に虫になりおった」主人が吾輩の姿を見る時は吾輩が家で休息しておる時か、珍しく躁鬱の気が消え落ちついて外界を見ることが出来るようになった時である。したがって吾輩の外での勇猛果敢なる活躍や、疳の虫が爆発した主人の目に止まらぬよう家を駈け回る敏捷な姿を主人は目にしていないのである。いつもごろごろなどとは腹立たしい。最もまだそう言うと決まったわけではないのだが。あの主人なら巨大な毒虫がかつての愛猫だったと気付くことすら無理かもしれぬ。とにかく困った。

坂口安吾

 

グレゴール・ザムザ氏は物に動じない傑物として近所には周知されている人物であるのだが、その日の朝はいささか勝手が違った。まず氏は、下宿で目覚めたとき自分と布団の間の具合がいささか妙な具合なのに気づいたのだ。
「ふむ、変だ。俺はなんだか転がるようだ」
それもそのはずで、彼の背中はころころとした固い甲殻に覆われていたのだ。彼はその抜きんでた合理性を発揮して、さらに体の各部を子細に点検してみたのだが、その結果判明したところでは、腹はよく見ると節目が入って色も茶色で、頭部もうまく回らないようになっている。
「ハハア、どうやらこの形は虫らしい。いやどう見ても虫だ。それも見たところ毒虫と言っていい風情だ。うむ、これは困った具合になったぞ。」
氏が困ったと告白するなどというのは10年にいっぺんかそこらあるかないかの挙と言っていいことである。

大江健三郎

 

いったいこの世で人間が虫に変わるなどということがあるのだろうか。僕でさえそんなことは夢想だにしたことはないし、それが自分の身にふりかかってくるとは思いだにしなかったことであるのだが、いざそうなってみるとそれは既に避け難い事態であるのがはっきり理解できたし、またそんな現実からは目を背けたいという欲求と戦うことが難しいものであるのも事実として実感できた。

筒井康隆

 

朝目覚めたら虫になっていた。妻も子供は驚いて家から駆け出して逃げていき、はずみで玄関の角にごんとぶつかって「ぎゃあ」と叫んだ。
「なんだこれは。こんな不条理なことがあるか。俺にこんなひどいことが起きていいはずはない。」
俺は叫んだ。今日は会社で取引先と大事な会議があるのだ。こんな体で出勤しようものなら、あのでぶでいやみな部長がそれこそ喜んで俺を呼び付けて、
「君、今までも君はずいぶん酔狂な男だと思っていたが、今日はまたさらに輪をかけて酔狂じゃないか。これはなにかね、私への嫌がらせかね。いやそうだ、そうに決まっている。君は前からなにかにつけて私に嫌がらせを続けてきたんだ」
などとねちねちと小言を言い始めるに決まっている。

村上春樹

 

目が覚めると、右のこめかみがちくちくと痛んだ。それはまるで小人が針を突き刺しているような感覚だった。口の中はからからに乾いていて、何とも言えない不快感があった。
何となく、自分の身体が、自分のモノではないような、そんな感触だった。ぼくはゆっくりと手をのばして、自分の存在をひとつひとつ確かめようとしたが、うまく身体に触れることができない。かろうじてわかったのは、それは人間の肌ではなく、つるつるとした、大理石の床のような感触だった。
おかしいな、と僕は思った。いくらなんでもそれはないだろう。たぶん、いつものように顔を洗って、丁寧にひげを剃れば、そんな不快感はきれいさっぱり忘れられるんじゃないかと思った。
しかし、そうはいかなかった。

中島敦

 

夜が明けて数刻、床にて不快なるを憶え起き上がろうとするも、
節々に蟠る焦燥が俄かに異変を訴えると、己の姿が奇妙極まる
毒虫になっているのを知った。まだ夢に違いないと自嘲を含めて寝返りを
試みるがそれさえままならず、粛然と白みはじめる朝もやのなかを
勇んで出勤できそうにない自分を悟り、深く恐れた。

ナンシー関

 

朝起きたら虫になっていたのである。
なんて唐突に始めてしまったが、私は今、この現象と前夜に見た情けない夢との相互関係について考えている。
ま、どうでもいいことだが。とにかく「虫問題」である。
たとえば歌手が別のジャンルに転身するというケースはよくあることだが、人が虫に変身するなんて話は聞いたことがない。で、観察してみたわけだ。
日曜日の午後に。テレビつまらんし。
それで仰向けになってみて思ったのは、腹部の形状を伝えるときに、弓形の節で分かれていて線がいくつもあると言うよりも、横分けのおやじの頭に近いと言った方が理解しやすいのではないか、ということだった。
腹がパンチョ伊藤というのも、なんだか悲しい現実であるが。

ファミ通クロスレビュー

 

自分が朝起きてみたら虫になっ
ていたという演出は斬新だが、
毒虫ということで感情移入はし
づらいなあ、自分視点なのに名
前が変えられないのも×。折角
のリアルな設定が生かしきれて
いず危機感が伝わってこない。
シュールな雰囲気を楽しみたい
人にのみお勧め。虫コン必須。 5点

景山民夫

 

朝起きたら、虫になっていた。
「冗談じゃねえぞ。何で俺がこんな風になんなきゃいけねえんだ。」
と思ったが、本来、人間の意識や感情の変化が外形に変化を与えるようになる。ということは実は頻繁にある(悪人顔などがそうだ)。どうも昨晩見た虫の夢が、私自身の身体に劇的な変化をもたらした様である。
そもそも人間の意識というものは、本来「祈る」という行為そのものから派生して、その人間の行動規範やライフ・スタイルを形作っていくようになるのではあるが、従来その「祈る」という行為は、行動を伴って現れるものではない。そんな大げさなものでなく、「善なる意識」といった方が分かりやすいかもしれない。
すなわち、僕の生活する…(以下略。)

中島らも

 

朝起きたら、虫になっていた。
「どないなっとんじゃー。」と叫びそうになった。
ラリっているのかと思ったが、薬はもう何年も前に止めている。
とりあえず、Fに電話しようと思ったが、
「おっさんは、酒飲んでごろごろしてるからそうなんたんじゃ。」
などと言われ、指を指して嘲笑されるのは目に見えている。
「俺だって、好きでこうなったんじゃないわい!」
などと天井に向かって叫んでいるうちに、打ち合わせの時間になってしまった。
…まあいいや。1杯やろう。

夢野久作

 

..ボーン、ボーン..。グレゴール・ザムザは何とも言いようの無いトテモ不安な夢からふと覚めてみると、布団の中の固い感触に気がついた。ナンダこれは..それに私はいつもベッドで眠っていたのじゃなかったっけ? 頭をもたげて掛け布団のなかを覗いてみると、腹部が奇妙に丸く変形していた..しかも固い弓形の節で分け目が刻まれている..その褐色の皮膚の気味悪さ..。ああ、ソウだったのか、おれは毒虫だったのか、おれは人間のつもりでいたキチガイ虫だったんだ...ボーン..ボーン..。

夢枕獏

 

「ぞわり……」暮郡寒佐は朝目覚めたとき貌に言い様のない違和感を感じていた。
黒く油光りしながら長く伸びる双つの翳。
それが、ぞわりぞわりと左右に揺れているのだ。
それは確かに・・・触角・・で・あった。
「へひぃ…」
これは一体何なのだ。悪夢か。このようなことがあるわけはない。
これは夢だ。そうに違いない。
寒佐は声をあげ悪夢から遁れようとした。
あげぇぇぇぇぇぇぇ.......
声にならない叫び、それは口から発せられたものでは無かった。

星新一

 

ノックの音がした。
それで目を覚ましたエヌ氏はベッドの上で首をかしげた。

うまく起きあがれないのだ。昨日酒を飲み過ぎたわけでもないし、
スポーツをしてで筋肉を使いすぎたわけでもない。
といって、昨夜遅くまで残業していたわけでもないし、
はて、何も思い当たらないのだ。
おかしな事もあるものだと思い、エヌ氏は自分の体を見て驚いた。
エヌ氏は巨大な毒虫になっていたのだ。
「これは、一体どうしたことだ?」

江戸川乱歩

 

この話が私の夢か狂気の幻でなかったら、あの毒虫になった男こそ狂人であったに相違いないのでしょう。それはある蒸し暑い朝のことでした。呼び出されて彼の部屋をおとづれますと、彼は寝床に入ったままこう言いました。
「どうだい、面白いものをみせてやろうか。これを見たまえ。」
彼にそういわれて彼の体を見ますと何と言うことでしょう。彼はおぞましき巨大な毒虫の体で、体はぬめぬめと黒光りし無数の足は不気味にうごめいているではありませんか。
アッと私が声を上げますと彼は不気味に笑いながら
「どうだい、素晴らしいだろう。これが僕の理想の姿なのだ。アハハハ」

宮台真司

 

僕が大変気になるのは、今回の事件はですね、例えば、「これは昆虫採集が悪いんだ」っていう形で、昆虫採集を中心とした自由研究ないし夏休みの宿題に原因を転化するような言説が、かなり当初から、つまりグレゴール・ザムザが14歳の少年だって分かる以前から行われております。
さらにですね、TBSの「ニュース23」における高校生の問いかけ、「なぜ毒虫になってはいけないのか」に、知識人と言われる連中が誰一人満足に答えることができていない。ここに日本の民度の低さが、象徴的に現れてきている。

吉本ばなな

 

虫になった日の朝のことを、今でもよく思い出す。

不思議と哀しくなかった。たぶん事態がよく飲み込めていなかったのだと思う。
しばらくの間、からだの節々をぎくしゃくと動かしたり、たくさんの手足を一本ずつ動かしたりしていたが、すぐに疲れてやめてしまった。

波の音が響くのが聞こえた。静かで穏やかで、それでいて力強さを感じさせるその音は、今まで聞いたどんな音よりも美しく、だからこそ、切なかった。
目を閉じると、波の音が不思議なエネルギーとなって全身に伝わっていき、頭の中が金色に染まっていった。

その時、実感した。
私は、虫になったのだ。

三島由紀夫

 

目が覚める前から私は自分の姿が毒虫になっているのを知っていたように思えてならない。と言うのも、私はこの奇妙で滑稽な事件に対してさしたる不安も恐れも抱かずに低血圧の茫洋たる大海に浮沈しつづけるような虚ろな惑溺に陶然としていたからだった。むしろ私が乱れるべきは、毎朝の隆々と欲望を叫ぶそそり立った「悪習」の因である下腹部の圧迫感が、今朝に限ってないことだった。私は事態の侮り難さを認めた。それはいわば私の人生に課せられた「革命」とでも名付けられる神の挑戦だった、否、私のプラトニックな性愛を砕こうとする神の嫉妬に違いなかった。

スタパ斉藤

 

ぬおーーー何だぁこりゃあ、すげーぜ!すげーぜ!ってんで朝一で毒虫になってみた。ていうかなってた。
さて、なんつってもイイのがその大きさだ。俺のベットにフィットフィットのフィットチーネ
その上さらにイイのがボディーの高級感で、甲羅はとにかく固いんだよね。ちょいと仰向けになって頭を上にすると、すんなりまるくなるんだな。
このサイドの間接構造が超イケててカラーも褐色と申し分なし。もうすっかりハマっちまったぜ。

古今亭志ん生

 

 エー・・・えへん。・・・虫というものはぁ、実にコノ奇妙ないきものでして・・・。
しかしまた・・・落語のほうには、わざわざこれを食してみようなんてぇおっちょこちょいが・・・・かならず出てくるもんで御座いますな。

 どんどんどん! オイ、ざむざッ、いるんだろッ。いたら返事しろいッ。・・・なんだい寝てるんじゃねぇか。・・・おいッ。どうしたんでぇそのなりは。妙に黒光りして、足ィ天井へ向けてつっぱらかって。どっか具合でも悪いの?足がこんなに節くれだっちゃって・・・・ひぃふぅみぃよ・・・・おどろいたね、六本あるよ。・・・こりゃ虫だね。
 そいや昨日の晩、湯の帰りにこいつに会ったら、こんなでっけぇ毒虫ぶるさげて歩いてたよ。それどうするんだって聞いたら食うって言うから、おめぇこの陽気にそんな虫食ったら当たるぞって言ってやったのに、食いやがったんだな。えぇ?・・・どうも、おどろいたね。虫食って虫ンなっちゃったよ・・・。ひどいねどうも・・・・まったく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・(居眠り)。

(観客)しーっ、起こすな。寝かしといてやれよっ!!

西原理恵子

 

虫とわたくし 

目が覚めたらいきなり毒虫になっていた。
「ふおおおおお。マブかよおおおっ。」
ケツの穴が一瞬おっぴろがったぞっ。30数年生きてっけどこんなにパンチの効いた目覚めははじめてだっ。前夜バカラでかっぱいだ金で筋の切れるよな大宴会を開いて大どんちゃんさわぎ。その後はわたくしの頭に濃ゆい霧がたちこめたので何にも覚えておりません。二日酔いはないが、背中は固い甲羅、腹なんざ脂ぎった肥満中年のよに丸くお洒落な弓形の固い節の分け目つきで、まさにお好きな方にはたまらない状態。朝からがっちょりおチャクラ全開。
鴨はすでにウオトカを飲んであんなに遠いところにいっている。
「ちょっとまてコラぁおどれはあたしをおいていくんかいっ!」
ピンチの時は酒を沢山飲んで自分を解らなくするのが一番。
とにかく気合だあっ 左わきえぐりこむように飲むべし飲むべしっ
ごっきゅごっきゅごっきゅ…

椎名誠

 

ともあれおれは虫になった。
虫はなってしまうとなかなか悪くないものである。
脱皮後のビールなどはウフフまいちゃったなあ、と急速に好々爺化してしまうほどのうまさだった。
しかしおれが毒虫だと知ってしまった犬のガクは、おれが近寄ると戸惑い気味にきゃいん、と鳴くようになった。
妻にも悪いことをしたと思い、濁り目のイサオと沈んだ酒を飲んだ。

色川武大

 

私にはナルコレプシーという奇妙な持病があって、朝などにふっとその気配を感じた時には気持ちがすうっと縮こまってしまう。
それがもう敵のペースになった徴で、こちらには全く態勢の造り様などないうちに、ズキン、とかすかなショックが頭にくる。
ああまたかと思う間も無く幻覚症状の始まりのようだ。
手足の端々から生え出てきたのは毒を持った棘であろうか。
ズキン、と先ほどより少し大きい一撃がくる。
それにより背中が硬質な殻で覆われて居たと気付かされる。
どうやら腹は褐色の節々で分たれて居るらしい。今度の趣向は毒虫なのか。

橋本治

 

今日、ムシになってた。
アー、ホントに声出しそうになっちゃった。ムシよムシ。信じられる?
しかも毒虫じゃない? バカにしてるわよねぇ。チョウチョとかテントームシとかならまだしもサッ! すさまじく失礼じゃないッ?
だいたいさーァ、イヤな予感はしたのよ。イヤーな感じの夢みたしサ。寝覚めがワルイとかって、ムカシの人はよく言ったもんよね。
朝起きて突然、自分の足に節がついてるのソーゾーしてよ。目もあてらんないわよ。
そりゃあ、もっと足が細くならないかなァ、なんて思ったこともあったわよ。でもネェ、ここまで細い必要ないわよ。そうでしょう。仮にも十五の少女よ。丸みだって必要じゃない。屈辱だったらありゃしないじゃない。頭きちゃうわよね。あーあ……。まぁいいんだけどさ……言ってもわかってもらえないだろうし……。アー、これからどうしよっかなア。

小林秀雄

 

 ある朝俺が起きると、虫になっていた。それは大きな毒虫である。頭を上げてみたが、節のある腹が見えたに過ぎない。そこに掛け布団が掛かっている。本数の多くなった足が目の前にある。それは悲しいほど痩せ細っているのだ。

 俺に何が起こったのか、とふと思う。夢ではないのだ。書棚に本が不規則的に並べられていて、古ぼけた古備前が置いてある。これは違う事無く俺の部屋である。夢などではない。俺は文芸評論家であった。だが、それが「私」という奇怪な現存に何の関係があるのであろうか。私の表現なんていうものはない。そんなものは誰にもできない。「俺」は虫である。それ以上に何も言及することなどない。

井上ひさし

 

《ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドの中で自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた》
 引用でともかくも枚数を稼ごうと思い、だらだらと書き写していて、ふと気づいた。ザムザは自分のことを毒虫、と語っているが、なんだか変だぞ、と感じたのだ。
 試みに手元の辞書を引いてみると、《毒:1)害するもの。2)毒薬。3)わざわい》とある。してみると毒虫とは、他人を害したり、災いをもたらしたり、毒薬を注入したりする虫の謂いである、といえよう。
 しかしこの長からぬ小説を隅々まで読み通してみても、虫と化したザムザが他人を害したり、わざわいをもたらしたり、毒薬を注入したりといった場面はまったく見あたらない。むしろザムザの方が、他人から害されたり、わざわいをもたらされたりして、最後は死んでしまうのだ。
 してみるとザムザが化したのは毒虫ではなく、被毒虫ともいうべきものなのだなあ、と、禿筆を舐めながら筆者は考えた。

噂の真相』1行情報

 

グレゴール・ザムザが虫になったのは文学的不条理が原因との噂

田中康夫

 

7月19日(水)

吉川十和子的”白痴美”スッチーY嬢と銀座のなか田。価格の高さのみ一流との結論で一致を見る。ニッポンレンタ。ウェスティンンホテル大阪。シャトー・ポン・カネ89を抜栓後にPG。爆睡。

7月20日(木)

朝、極めて大きな毒虫に変わってしまっている。こそばゆい。可及的速やかに頭をもたげると、固い甲殻の背中を下にして仰向けになっている。一体、如何なる勘性・心智の持ち主なのか。褐色の弓形の固い節が在るべき姿であろうに。分け目をいれられた下腹部が”ひ弱なれど自力本願な無欲の都会人”のインポテンツ振りを物の見事に照射してはいまいか。筑紫サロン哲也チェンチェイも遅蒔き乍ら己の透視能力の無さに気付いたか。
机に向かうも頓と進捗せず。堪え切れずに一人でONの後、吉野家。極めて秀逸。

原田宗典

 

不安な夢を見るということは、やはり不健康なことなんだなと思う。
 昨晩原稿を仕上げた僕は、崩れ落ちるようにベッドに潜り込んで惰眠をむさぼっていた。
 もともと僕は快眠快便をモットーにしている。とりわけ快眠にはうるさい。どれくらいうるさいかというと
「快眠のためなら、ムネノリ死んでも良いっ!」
とNHKの喉自慢で、全国のお茶の間に叫ぶくらいうるさい。ともかく、すんごくうるさいのである。
 だが、時折思わずどひーと叫びたくなるような夢を見ることがある。これは僕にとっては非常に悲しいことなのだ。もしバクが夢を食べるという話が本当なら、枕元に専用のスペースを準備して
「頼むからオレの悪夢を食べちくりー」
 と土下座をしてもいいとさえ思う。
 ところが今朝はそんな夢を見てしまった。ようやく昼頃夢から覚めてみると、僕はベッドの中の自分が妙におかしいことに気がついた。
 立派な中年の僕は、やはりお腹が気になるお年頃である。いつもなら
「ここにいます」
 という感じで存在を主張する下っ腹が、褐色に見えた。起きて良く見ようとすると、背中に甲羅みたいな感触までする。
「これは、昔いじめた亀の呪いではないか。ひー、亀様ゴメンナサイ」
 などと思いながらよくよく見ると、我がお腹は、茶色の蛇腹状態になっていて、腹筋運動をするとワシャワシャする。どうやらこれはいわゆる一つの「蟲」であるようだ。
 いきなりカフカの名作の主人公にされてしまった僕は、いきなりi-modeを手渡された猿のように困惑してしまった。そりゃ若い頃は小説の主人公になりたいと思ったこともあるけど、モデルがあるではないか。「若きウェルテルになっちゃうもんねもんね作戦」ならぜひとも実行したいが、「ムネノリ『蟲』になっちゃいました大キャンペーン作戦」では格好がつかない。
 ともかくワシャワシャとベッドを這い出し、トイレでウンチョスを投下している間に悩みまくった挙げ句、とりあえず
 「悩んでもしかたないもんね」と結論を出した僕はこの原稿を書くことにした。
 虫になってみると、手が4本使えるのでワープロを打つのが楽なことが分かった。こうしてみると虫でいるのも悪いことばかりではないのだが、友人達からムシされたりするんだろうかなどと、困惑することしきりである。
 とりあえず、今年のお中元に殺虫剤はやめてほしいなあ。

岸田秀

 

人間は虫という幻想を共有しているというのがわたしの出発点である。もちろん、幻想であるから、虫に本来備わっている変態能力も壊れている。変態能力が壊れているということは、人間は環境要因によってはいわゆる正常な変態、変身ができないということである。人間は、変態能力によってネオテニー状態を脱し、成体として男が女を求め、女が男を求めることはない。正常な変態ができないということは、人間は基本的に虫ではないということなのである。しかし、それでもまれに人間は幻想に頼ることで、朝の目覚めから虫に変身してきた。もちろん「まれに」であって、虫に変身した人間が変態を遂げるまでに虫の本能、変態能力を発揮した例は見られない。フランツ・カフカによれば、人間が毒虫化したのがグレゴール・ザムザである。固い甲殻の背中、丸く膨らんだ褐色の腹部、その弓形の分け目の入った固い節などの虫類的特徴は、人類の進化の過程で突然変異的に獲得されたものではなく、ザムザのみに特徴的なものであって、ザムザ以外の人類においては幻想にすぎないというのである。すなわち、ザムザが共同幻想によりかかるあまりに人間的特徴を失い、ある朝目覚めて見出したのが一個の巨大な毒虫である。

山川出版社@世界史用語集

 

       *    *    *  
ザムザ Gregor Samsa ⑨ 1883~1924 二十世紀実存主義文学の先駆けとなった毒虫。自己存在の毒虫性を発見した経験を基に,背面甲殻の硬度,弓形褐色腹部の球形性,分岐性を説き注目を集める。*1
       *    *    *  

共同通信

 

[共同]◎プラハ市民が毒虫化 原因・対処法わからず

プラハ28日カフカ特派員】プラハ市内の一市民が巨大な毒虫に変わっていたことが、27日までにわかった。本人はもとより専門家も大きな衝撃を受けている。

毒虫に変わっていたのは、プラハ在住の男性、グレゴール・ザムザ氏(28)。警察によると、ザムザ氏は、不安な夢から目覚めると虫に変わっていたと主張しているという。背中には固い甲殻があり、腹部には弓形の固い節で分け目が入っており、褐色で丸くふくらんでいる。当局や専門家も原因がわからないため首をひねるばかりで、何ら有効な対策はいまだとられておらず、今後議論を呼ぶものとみられている。

文学者フランツ氏の話 このような話はいい題材になります。ぜひ取材して彼の内面を描き出してみたい。

武者小路実篤

 

 或る朝,ひどく胸苦しい夢から目をさますと僕は,少し毒虫になつたらしい。
 人間もいくらか毒虫になつたらしい,人間としては少し毒虫になりすぎたらしい。いくらか巨大だつたかも知れないが,毒虫になつたのも事実らしい。しかし本当の人間としてはいくらか巨大だつたのも事実かもしれない。本当の事はわからない。
 しかし人間はいつ一番毒虫になるか,わからないが,少しは巨大だつた気でもあるやうだが,事実と一緒に毒虫になつたと同時に少し頭もにぶくなつたかも知れない。
まだ少しは頭も毒虫になつたかも知れない。然し少しは進歩したつもりかも知れな まだ少しは頭も毒虫になつたかも知れない。然し少しは進歩したつもりかも知れない。
 ともかく僕達は少し毒虫になるつもりだが,もう少し毒虫になりたいとも思つてゐる。
 皆が少しづつ進歩したいと思つてゐる。人間は段々毒虫になり,進歩したいと思ふ。皆少しづつ,いゝ毒虫になりたい。
 いつまでも進歩したいと思つてゐるが,あてにはならないが,進歩したいと思つてゐる。
 僕達は益々毒虫になり,いろいろの点でこの上なく毒虫になり役に立つ毒虫になりたいと思つてゐる。
 人間は益々毒虫になり,今後はあらゆる意味でますます大きくなり,生き方についても,万事変身したいと思つてゐる。
 ますます毒虫になり,万事変身したく思つてゐる。我々はますます毒虫になりたく思つてゐる。
 毒虫万歳。

医師国家試験 E問題

 

x才の男性。著しい外観の変容を訴えて来院。全身性外骨格化が顕著、甲殻に包まれた背部翅状化、腹部弓状結節化を示す。意識清明、外気温による体温変動を認める。来院前夜の悪夢訴え有り。
この患者に最も適切な治療はどれか。

a イミプラミン投与
b 副腎皮質ステロイド薬の結節腔注入
c 鏡視下背翅切除術
d フランツ・カフカ法による外骨格内翻転
e 仮面ライダーへの転職指導

京極夏彦

 

-夢を見た。
夢の中で虫となり、空を飛んでいた様に思う。
私は子供の頃より虫になる夢をよく見る。
そもそも、私は虫が大好きで、小さい頃は虫を捕まえ虫かごの中で飼う事がよくあった様におもう。しかし、何故かは知らぬが大抵がすぐに死んでしまった。
子供の頃はそれでも、単に虫が好きなだけで、それ故この様な夢を見るのだと思っていた。
しかし、成長するにつれ、夢は収まる所か見る回数は増えていき、ついには本当に虫になりたいと思う様にさえなっていった。
もちろん、起きた時に虫になっていた事など一度もなく、だから、虫になる事などあり得ないとあきらめていた。今朝、目をあけるまでは。

目がさめた。

まぶたを開けてみると、6つの節に分かれた褐色の腹が網膜に飛び込んできた。
頭の芯がとろける様でしばらくぼっとしていた。
でも、いつまでたっても頭のかすみははれることなく夢と現実の境目をふらふらしている。
体を起こそうにも、手も足もうまく動かない。
そもそも手と足の区別がなかった。
部屋の中は薄暗く、とても静かだった。まだ、夜明け前なのだろうか。
カサカサという手足の音とどくどくという体から流れ出る毒液らしき液体の音だけが響いている。
この状態が死ぬまで続くのだろうか。
息苦しい。
頭がしびれる。びりびりしびれる。
人を呼ぼうにも、声が出ない。そもそも喉がなかった。
恐ろしくなった。これでは毒虫だ。永遠に続く無間地獄の責め苦じゃないか。
ああ、私の昔飼っていた虫たちが羨ましい。あの虫たちはこれを知っていたから早く死んだのだな。
そうだ。気が狂ったのだ。気が狂ったのだと思えばいい。狂気の胡乱な意識が幸せにしてくれる。
いや、妄想かもしれない。限りなく狂気に近い妄想だ。
でも、私は正気だ。
私はグレゴール・ザムザだ。
それとも私は人間ではないのか。
私の中で、毒虫と人間、狂気と正気が同居し始めている。
グレゴール・ザムザというものはもうなくなってしまった。
拡散する。霧のように私は手足の隅々にまで充満する。私は毒虫の形になる。
隅々にまでぴったりと融合していく。
ちっとも幸せじゃないじゃないか。
私の殺した虫たちの臓腑が私の脳髄 私の殺した虫たちの臓腑が私の脳髄に充満する。人じゃない。虫でもない。私の中をどろどろ流れるのは腐肉の肉汁だ。
私は腐肉を喫らって生きる毒虫の化け物だ。
そうだ、私は妖怪だ。
私の肉体を形成しているのは訳の分からない妖怪なのだ。だから私の実体は私の意識ではなく妖怪なのだ。
私は毒虫の妖怪だ。
窓の向こうで声が聞こえる。
助けてくれ、私は毒虫じゃない。人間なんだ。
こめかみに力を入れると私の人間としての輪郭が少しだけはっきりした。もっと、もっと力を入れる。
「ほう。」
私はそれだけしか言葉が喋れない。

*1:→p.297