黒歴史と分かってて書く、それ即ち灰歴史

まるで自分が何人もいるかのように、心のありようはいかようにでも変化する。
たとえば、誰かに怒られて気分が沈んだ日は、それまで何事もなく平穏に暮らしていた自分がまるで別人を見るかのように疎ましく感じる。自分の存在の連続性が曖昧になる。わかっていても、それは止めようがないのだ。自分の心をいつでも平衡に保てるほど人は強くない。
だが、そこは乗り越えざるをえない。「時間」という残酷なまでに公正な支配者が、止まるな止まるな歩け歩けと背中を押し続けるのだ。そうしていくうちにいつの間にか物事が解決している。合点のいく結末かどうかは別として。
人が何か問題にぶつかったとき、それを解決しようとするのは、「これが自分なんだ」というアイデンティティを守りたいという本能がそうさせているんだと思う。主義なき精神は、死を意味する。
それにしても、物事を解決しているのは、自分なのだろうか?時間なのだろうか?