その昔、ナンシー関という人がいた。その人について語れるほど僕はその人を知っているわけではないが、とりあえず、有名人を辛口コメントで分析し、消しゴム版画を作り、今は故人という認識だ。うちの親父がたいそう気に入っており、この人に分析してもらいたい有名人が今いっぱいいるのにと嘆いていた。
僕にも、何が気に入らないのかわからないけど気に入らない人はいっぱいいる。その「気に入らない」の正体がつかめないと、フラストレーションが溜まる。漫画家の吉野朔実さんが書いていたが、「わからない」ということが何より人を苦しめるということなのかもしれない。そこで、ナンシー関のような、モヤモヤの正体をズバリと言い当ててくれる人が欲しくなる。
僕の同僚にも、ナンシー関みたいな冷静なツッコミをする人がいる。表立っては誰とでもすごく紳士的に接するけれど、冷静に人を分析して、あの人はさぁ…と、いろんな人の「不快のツボ」を言い当ててくれる。こう書くとすごくイヤらしい人のように聞こえてしまうかもしれないが、その同僚の名誉のためにもそんな人ではないと断っておく。
むしろ僕は、その同僚のコメントを求めているのだ。僕は人と接するのがとても得意とは言えないので、波風立てないように立てないようにと行動するから、人のことを悪く言ったりはしない。それは僕の傷つきたくないという卑怯な考えの裏返しであり、決して美徳とは思っていない。人の悪口を言うことは決して悪いことではないと思う。その同僚は、自分の行いに間違いはないという自負があるからこそ、その人が間違っていると見抜けるのだ。その同僚の言葉は的確で、自信に満ちてて、聞いてて気分がいい。
僕は常にどこか後ろ暗いところを背負っているので、その同僚の清廉さにとても憧れる。ヘコヘコしていい子ぶっているばかりがいい社員ではない。自分の行いに自信を持たなくては。悪口は自分に跳ね返ってくるというけれど、それを打ち返すくらいの意気を持たなければ。