すべての景色に理由がある

実家の車に乗りながら外の景色を見る。黄色いダウンを着て、スポークに反射板を3枚もつけて自転車に乗っている人がいた。きっとこの人は、前に自転車で手ひどい事故に遭ったのだろう。
一瞬の景色にも、すべてに歴史がある。たとえばほら、あの信号だ。19年前はその交差点に信号はなかった。そこから80メートルほど離れたところに信号はあったが、わざわざそこまで遠回りするのは面倒だから信号のないところを渡るのはよくあることだった。だから僕は、19年前のある日信号のないところを渡った。すると突然、何かが光ったと思った瞬間全身がふっ飛ばされてた。僕はスクーターにひかれたのだ。足をしたたか捻挫したが骨折はしなかった。
それから数日して、その交差点に信号が設置された。今でも、その信号は僕が立てたんだと思っている。そう思うのは、何か自分の痕跡を後世に残したいと思う人間の欲なんだと思う。
すべての景色に理由があると考えると、面白い。「ブラタモリ」なんかも、そういう考えに先立っているんだろうね。