劣化しない世界

昭和のものといえば、レコードがある。再生するとプツプツ音がして、音も不鮮明で、実に古臭い。
昭和の写真なんかも、経年劣化してボロボロで、黄ばんで、いかにも昔という感じがする。
それに比べて、今の時代はあらゆるものがデジタル化し、音楽や写真が劣化するということはほとんど考えられなくなった。何十年経っても、まるで昨日のもののように残ることだろう。
レコードや、フィルムの写真や、ベータのビデオは、それだけで懐かしいという気持ちになるだろう。しかし、iPodやデジカメで残したものを見て、同じように懐かしいという気持ちになるのだろうか。
もちろん、その時代の流行があったり、風景だって変わっているに違いない。だが、「昔」を感じられるものは、それだけじゃない気がするんだよね。
記録が劣化しないということは、事実上今と昔の区別がなくなるということじゃないかな。「今」のものをずっと「今」のまま残せるということだ。
僕はそれを恐れているふしを自分の中で感じるのだが、おそらく記録が劣化しないのに自分ばかりが劣化していくというそのギャップに恐れているのではないかということだ。昔のものを昔らしく捉えられないというのは、どんな気持ちなのかなと。そう、今まで経験したことのないことが起きようとしているのだ。はるか昔に残したものが、今のものなのか昔のものなのかわからなくなるのだ。


だがそうは言っても、5年くらい前のテレビを見ると、古さを感じることはできる。そのころすでに時代の最先端を行っていたような気になっていたが(そりゃ、時代の最先端には違いない)、今見るとこんなボロい映像を見ていたのかと驚愕する。
そうなると、僕がこうしている今もやはり昔になるのだろうか?何を言っているのかわからないと思うが、わかってほしい。だがこんなにも新しい今が、どんどん新しくなり続け、洗練され続けていったら・・・人類はいったいどんな未来を迎えるのだろうか?