マリオギャラクシー プレイしてて感じたこと

ずいぶん前にマリオギャラクシーの感想を書きましたが、いまだに全クリしてません。今までリモコンを握ったことのない嫁さんが、ついにアシストチコとしてWiiデビューしてくれました。これでだいぶ楽になるはず。
しかし、やっぱり感想としては、まず一言目に「恐ろしい」としか言えないゲームですね。よくもまあこんな禍々しい仕掛けを考え付くものだと、製作者のSっぷりに感心してしまいます。
なんかね、一つ一つのトラップや敵の実体感というか存在感がハンパないんですよ。ものすごい質量をもってるんですね。たとえば、巨大な鋼鉄製の床が上下運動してるんですけど、その鉄の重量感がすごい伝わってくるんですね。でまあ、その床と天井に挟まれればマリオはオダブツなんですが、もうね、こっちもぐえええっって感じになるんです。これはあれですね。すごいデカい建物を前にしてると、それが倒れてきて潰されるんじゃないかと変な想像してしまうのに似てる気がします。デフォルメされた世界でありながら、リアルな質感の描写を怠らない。それが、僕を身震いさせるまでのスリル感を醸し出しているのだと思います。
あと、何かにつけて真剣勝負というのが、なんというかすごい。のどかな島でペンギンとレースって聞くと、すごいほのぼのしてていいじゃんと思うんですが、1位になれないと命を取られるんですよ。まさにミリしらカイジ風に言うなら「っ命のゲーム…!」って感じです。オバケと競争して負けたら命取られるのはまだわかるんですが、ペンギンとレースして命取られるってどういうこと。ペンギンはまたやろーぜとかのんきなこと言ってるんですが、マリオはOHHHHHH!!!!とか頭抱えて一人分のライフを失うんです。これってなんでしょう、マリオが自分のプライドが許さないって自殺したってことなの。ノコノコとレースして負けても死ぬことなかったじゃんかよ。

墜落死、溺死、圧死…バリエーション豊かなマリオの死にざまを見てていろいろ考えさせられますね。64以降になって、なんか妙にマリオの命が重くなった気がするんですよね。横スクロールのマリオ時代は、あ、やられたって感じで「死」を感じさせないんですが、64では、高い所から落ちるとダメージ受けるし、ライフ制になってじわじわ体力が減っていってゼロになると死ぬし、マリオがひとつの生命として感じられるんですね。おぼれ死ぬところなんて妙に生々しくて見てるこっちまで息苦しくなりますからね。
64でマリオがライフ制になったいきさつはよく知りませんが、確かに世界に奥行きが出たから、マリオにもそれ相応の命を持たせようとするのは普通の考えなのかもしれませんね。
しかし生命を持つものとしてマリオに決定的に欠けているものがあります。それは恐怖するということです。ツェペリさんが勇気とは恐怖を知ることと言ってたように、恐怖しない存在とは命を持つ存在などではなく、単にプレイヤーの手ごまでしかないのです。任天堂さんは、いったいどこまでマリオに命を吹き込ませるつもりなんでしょうかね。プレイヤーの思考と同化し、恐怖を持つようになるマリオ。そこがひとつの終着点なのではないかと思うのです。