自転車事故の経過 2023/10/14~2023/10/15

10/14(土)
10日の事故の直後、特に気を揉んでいたことがあった。14日におこなわれる息子の小学校の運動会だ。久々に人数制限を解除しておこなわれる運動会。そもそも、息子は去年風邪を引いてしまって運動会に参加できなかったので、今回、本番に初参加となる。息子も体調はなんとかもっていて、このままだったら参加できるだろうと楽しみにしていた、その矢先だった。
自分の運転の未熟さを呪った。せっかく息子の運動会という晴れ舞台を見られるというのに、僕自身がこんなことになってどうするんだ。
入院にでもなったら、運動会に行ける確率はかなり下がってしまう。だからどうしたって入院するわけにはいかなかった。僕が決められることではないんだが、お医者さん同士の会話に耳をそばだてていた。
そしたら退院できるということなので、ひとまず胸をなでおろした。14日までに怪我がどの程度まで回復しているのか全くの未知数だったが、とにかく回復に専念して、参加するしかなかった。
まず、10日時点の事故のダメージは、顔に複数の擦過傷と唇の打撲、左胸の打撲、左手に軽い擦過傷、右手の人差し指の骨にひび。
そして14日。顔はだいぶ傷が癒えてきていくらか見られる顔になってきていた。左胸の打撲は痛い。特にくしゃみするのは命がけだ。左手は擦り傷だけなので他に比べたらましだが、右手でできないことをやってて手首とかだいぶ死んできている。そして右手。前述のとおりヘルボーイ状態なので動かすとか痛いとかいうレベルではなく、使えないものとしてただ付属しているだけになっている。
結論、行ける。1人だけハロウィンやってるのかというような右手の包帯で、小学生の子たちを動揺させたりしないかと一抹の不安はあったが、そういう奴もいるとスルーしてもらえると信じて行った。
だってあれなんだよ。うちの子、僕の右手のことをママと話してたらしくて、パパには左手でがんばれーってやってもらおうと言ってたらしいんよ。行かないなんて選択肢あります?
そういうわけで無事に運動会に参加することができた。もちろん息子も元気にこの日を迎えることができた。
息子の学年は、集団演技と、徒競走があったのだが、息子はすごく頑張っていた。集団演技でも息子はちゃんと自分の立ち位置を維持しながらしっかり演技していたし、徒競走も全力で走っていた。なにぶん初めての運動会で、僕自身要領がつかめなかったり、そもそもカメラを構えるには手がアレでままならなくて、ちゃんと息子の雄姿を記憶媒体に納めきれなかったところはあるが、それよりも息子が頑張っている姿を目に焼き付けることを強く意識した。
運動会はほぼ定刻通りに無事に終了した。ともかくも楽しかった。どの学年も演技や競争は見ごたえがあった。特に高学年が組体操をやってて、プログラムからは組体操とわからなかったので思わぬ収穫だった。組体操は危ないからと自粛する方向になっていたと思っていたので、まさか見ることができると思ってなかった。他の学年で何が好きだった?と息子に聞いたら、やはり組体操だと答えていた。しかしさすがに5段のピラミッドはなくて、我々の時代、よくやってたものだなと感心してしまう。
運動会は午前中に終わったが、ずっと立ち見だったので疲れた。だが参加できて本当によかった。来年こそは何の憂いもなく参加したい。
そして午後だがここからが大変だ、ママが。
ただでさえ僕の分も家で働き詰めのママが、あることをしないといけない。
この前の12日、会社の上司と自転車(事故車)の確認をしたところ、そこで初めてわかったことなんだが、ブレーキが片方イカれてしまっていた。
自転車という足がないと、ママは買い物をすることもままならなくて完全に家庭が詰んでしまうので、ママが自転車の修理に行くしかなかった。なぜそこまで運動会の後という無理をおして行かなければならなかったのかというと、翌日が雨予報で、そんなときに出たら、ママがスリップして二の舞になってしまいかねない。
僕は、ママにあまりに申し訳ないので、近所に評判のいい腕利きの修理屋さんがいるらしいよと必死のアピールを試みたのだが、電動自転車で配線がイカれてたりしたら危ないし、この自転車を買った販売店で見てもらうのが一番いいからとママは折れず、僕は仕方なくママを送り出さざるを得なかった。なにせ、販売店は、家から結構遠いところにあるのだ。電車の駅にして、1.5駅分はあると思う。
その販売店はショッピングモールに入ってて、スーパーも併設されているので、ついででママはそこで買い物をしてきてくれるというのだ。もう何も言うまい、完全に任せることにした。
ママが家を出て約1時間後、すでにママは自転車を修理に出していて、もう少ししたら修理が完了するという報告があった。思っていた以上に順調に進んでいるようで安堵した。その間に買い物も進めてくれていた。
それからさらに約30分後、ママが無事に帰ってきた。修理と点検が完了した自転車に乗って。僕が勝手に招いた災厄だったが、とにかく自転車がイカれるという懸案事項が片付いて、ほっとした。僕がノーアウト満塁にしたところを、ママがゲッツーとフライで抑えてくれたようなものだ。
夕飯は、運動会を頑張った息子に、ママが息子の大好きなビビンバをごちそうしてくれた。

10/15(日)
特に何もない平和な1日だった。思っていたより雨は降らなかった。