自転車事故の経過 2023/10/10

10/10(火)
朝、通勤途上で自転車で走ってて、曲がり角を曲がろうとしたらスリップして転倒。顔を含んだ上半身から地面に突っ込んだ。口から血が出て、右手がはれ上がっていた。口の中も腫れており血の味がする。
通行人の方が声をかけてくれて、近くの交番にお巡りさんを呼びに行ってくれた。なんとか自転車を起こす。とりあえずお巡りさんが来るまでしゃがみこんで待つ。他の通行人の方々も声をかけてくれた。リュックや、バッグや、服が血まみれになっている。
お巡りさんが来た。何か身分がわかるものをということで、健康保険証か運転免許証を出そうかと思ったが財布にマイナンバーカードが入っていたらしくそれをお巡りさんが出してくれた。まさかこのような形で役に立つとは。返納とかしなくてよかった。する気はなかったけど。
お巡りさんが救急車を呼んでくれた。自転車を近くの駐輪場に止めておいてくれるらしい。救急車が来てくれた。お巡りさんが電話して5分くらいのことだったと思う。これは今日は会社に行けないなというのと、ママになんと言えばいいかと考えていた。足は無傷だったので歩いて救急車まで向かう。
救急車に乗った。乗ったのは、小学生の時以来か。
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車内で体温とか血圧とかを計られた。ここでも身分を尋ねられる。電話をした。まずママに。そして次に会社に。普段から覇気のない声だからトーンはそんなに変わってなかったんじゃないかと思う。
救急車が出発した。いつも外で聞いている救急車の音の発生源に乗っているのが、なんとも情けなかった。近くの大病院に運んでくれるらしい。そこは、息子が生まれた病院でもある。
病院に到着して、担架のまま運ばれる。
そこから先のことは順序どおりには覚えていない。レントゲンを撮ったり、ジャバジャバ傷口を生理食塩水で洗われたり、破傷風のワクチンを打たれたり、口の中に麻酔を打たれて唇を縫われたり、腫れあがっている右手を歯ブラシでゴシゴシ磨かれて縫われたり、されるがままだった。
とりわけ、おしっこがしたくてしたくてたまらなかったのはハッキリ覚えている。なかなかトイレに行かせてもらえない。結局、1回シビンにすることになった。この恥ずかしさ。事故なんて遭うものじゃない。
例の、小学生時代、信号を立てたときの事故のことを思い出していた。そのときも、おしっこがしたくてしたくてたまらなくて、我慢してと言われていたけれど、結局、漏らしてしまったのだ。その恥ずかしさは今でも鮮明に覚えている。この年でまた漏らしたりなんかしたら、僕は生涯立ち上がれなくなるので、せめてシビンにできたのは、僕の中のひとつの救いだったと言えるかもしれない。
ひとしきり処置が終わったのか、ようやくベッドから立ち上がって、2回目のおしっこをさせてもらえた。今度はトイレで。
ママに状況を報告する。とりあえず、入院することにはならなそうだと。ママには会社を休んでもらって病院に来てもらった。すごく申し訳なかった。会社に電話した。今週いっぱいは休ませてもらうことにした。
午後1時ごろママが病院に来てくれた。恥ずかしいやら申し訳ないやらで合わせる顔がなかった。そもそも一足早いハロウィンのメイクかというくらいかなり顔がはれ上がっていて、ママにショックを与えてしまいそうで、顔を見せたくはなく、マスクをしていた。だが結局、主治医の先生の説明のときに、僕の怪我の写真を思い切りママに見られてしまった。
会計とかが終わったころには午後2時になっていた。これから家に帰る。
電車に乗って帰る。あちこちが痛むが、自分の足で歩けるのだけはありがたい。松葉杖や車いすになったらと思うとぞっとする。
息子になんと説明しようかと言っていたら、もう伝わってはいるということだった。よく考えたら、僕が救急車からママに第1報を入れたときはまだ息子は登校前だったのだ。
ママに買い物をしてもらったりしている間に、薬局で薬を待つ。
あとは家に帰るのだが、懸案事項が残っていた。自転車がどこに止まっているのかだ。お巡りさんに自転車を預けたんだが、そのとき、どこどこの裏に止めましたみたいなことをぼんやり聞いた気がするのだが、事故で気が動転していたこともありはっきり聞き取れていなかった。たぶんいつも止めている駐輪場なんだろうと思うけど、念のため交番を訪ねて、どこに自転車を止めてもらっているか確認したが、その時の担当のお巡りさんがいなくて、いろいろ確認してもらうことになってしまった。時間がかかりそうなので駐輪場を探しに行ったら自転車が止まっていた。
帰り道、僕がスリップした現場を通った。思い出すだけでぞっとする。もう当分自転車はこりごりだ。
家に着いた。改めてマスクを取って顔を見る。ひどいありさまだった。唇が紫色になって腫れあがって、血のりがこびりついて、まるでジョーカーみたいになっている。血は拭けば落ちそうだが、この腫れ具合。もしかしてもう元に戻らないのではないかと軽く絶望的な心持ちがした。
とにかくよくなるまでは少なくとも息子には見せられないなと思い、家の中でもマスクをしていた。
ママが、今自分ひとりで寝ている部屋───将来的に息子のものになる部屋───を僕のために空けてくれた。いつも僕が息子と一緒に寝ているが、怪我がよくなるまではママが隣で寝てくれるというのだ。とても申し訳ない。
ろくにできることもなく、ベッドで寝ていた。夕方になり、いつも僕が行っている学童へのお迎えをママに行ってもらう。この先どれだけママに負担をかけてしまうのかと、気が重くなる。
息子が帰ってきた。大丈夫?と顔を覗いてくる。とりあえず、マスクをしてはいるので、怖がったりはしていないようだ。
口がはれ上がっていて痛いので食欲があるわけではないのだが、お腹はすくので、夕飯をいただく。今日の夕飯は、幸いにも、食べやすいうどんだった。
息子が気を配って、配膳とか、コップとか持ってきてくれる。なんて優しく頼もしいんだ。
夜も更けたが今日はお風呂に入れない。僕がいつも息子のお風呂入れ当番だが、それもママに代わってもらった。お皿を洗うのも、やってもらってしまった。
先のことはわからないが、事故の興奮やらで痛みそっちのけで眠ってしまった。