昔の日記は読むに耐えない

最近はもっぱら食事メモと、息子のおもしろいことばと、嫁さんの面白い言葉を記録する日記になっているが、それはそれでいいと思っている。いや別に悪いことなど何一つない。なぜならそれらで回していれば僕の私感がほとんど入る余地がないからだ。

昔の自分の日記は読むに耐えない。僕の浅薄な知識から生まれる思考なんて醜さの塊だ。よくあんな無駄なこと考えている時間があったものだと呆れる。

それでも嫁さんは、僕の昔の日記をたまに読んでいるらしく、この間は「食事メモを除外して読むことってできないの?」と言われた。困った。