特別お題「わたしがブログを書く理由」

特別お題「わたしがブログを書く理由
 突然なんですけど、僕の嫁さんはすごい人で。嫁さんと僕は同期入社で、新人のときの配属先はそれぞれ別の事業所だったんですけど、なんだかんだあって、部署は違うけれど、今は同じ事業所に勤めています。
 嫁さんは理系で、僕は文系で、全然畑は違うんですけど、まったく無関係な仕事ではなくて、嫁さんは設計、僕は物流で、嫁さんが設計して出来たものを僕がお客さんのところに届けるという、簡単に言うと、会社の入口と出口を夫婦で担っているんですね。
 で嫁さんの何がすごいのかって、嫁さんって、その部署の中では周りの人に比べて割と年数が浅い方なんですが、どういうわけだか、嫁さんよりもベテランがやるべきだろうというような仕事を任されて、それをこなしちゃうんですよ。それを可能にしているのが、嫁さんのデータベース検索能力なんですよね。営業が注文を取ってきた複雑な仕様の品物でも、部署内に蓄積された膨大な過去データから、同じような仕様を探し当てて、チョチョイのチョイと手配してしまうんですよ。僕は嫁さんが何をどうやっているのか、もはやブラックボックスにしか見えないんですが、嫁さんからすると、逆になんでみんなやらないのかと、転生チートキャラみたいなことを言うんですよね。
 いやでも僕は本当心配で、あんまり嫁さんが優秀なので、いくら検索能力が優れているとしても、そのキャパを超える仕事を任されているようで、なまじそれを嫁さんはこなしてしまうので、ほんと嫁さんは真面目な人で、納期を守らないとと使命感に追われてて、それが本当嫁さんのいいところなんですけど、僕の心配は絶えないです。
 でまあ本題なんですが、「わたしがブログを書く理由」。
 前もちょっと話したんですが、うちでは献立を毎週木曜日頃に決めてて、献立を決めるにあたって、僕が日々つけている「食事メモ」が役立っているんです。最後にこれを食べたのはいつで、じゃあ久しぶりにこれにしようかとか、献立決めがはかどるんですね。
 嫁さんは会社でデータベースを操って仕事しているけれど、僕は食事メモをつけ続けてデータベースを蓄積している。夫婦は自然とこうも似ていくものなんだねと、話していたところなんです。僕の日記で、料理名を記事検索すると、嫁さんがいつこの料理を作ったのかを見ることができますよ。
 で、そもそもなんで僕が食事メモを付け始めたのかなんですけど、この日記内でもそれについて何回か触れたような気がするんですが、そのたびに説明が変わっていたような気がするので、特に理由がないというのが本当のところかもしれません。何かを継続していれば、いつか何か意味が生まれるかもしれないと思い続けて書いて、その結果うちの献立決めに役に立っているのだから、僕はそれで本望です。
 ただ、この食事メモの原点になったものはあります。僕が高校生の時、国語の授業で、先生が正岡子規の『仰臥漫録』という本の話をしてくれたんですね。正岡子規は若くして結核に冒されて、晩年はほとんど寝たきりで過ごしていたんですが、寝ながらつけていた日記がその本になって、その内容というのが、食べたものの内容とかを仔細に記録してたりしてて、病床日記なのに、どこか達観しているというか、暗さがないんですね。ただ食べたものを書き残すだけでそういう風情が生まれるのか、と当時高校生の僕は妙な感銘を受けたのをよく覚えてて、それからしばらくしてこのはてなブログ───当時ははてなダイアリーでした───に出会って、ふっとそのときの記憶がよみがえって、そうだ、俺も食事を記録しよう、それで何かが生まれるかもしれないと、それで今に至るというのは、少なからずあると思います。決定的に違うのは、僕は決して病床にいるわけではないので、ただのその辺の奴が食べてるものを記録してるだけで風情も何もないというところなんですけどね。
 まああと、ブログを書く理由なんですけど、僕の日記はすごい不真面目だと思います。改まって言うのはこっぱずかしいんですが、ふざけていられる場にしたいということですかね。こんな場を提供してくれるはてなさんに日々感謝しています。
 最後にごめんなさい。いかにも『仰臥漫録』を読んだようなテイで語りましたが、読んでません。いつか絶対読みます。絶対。